20220502

朝起きたら大量のサンドウィッチが出しっぱなしになっていて、どうやら昨晩パーティをしたらしい。ほんとうに?いつのだっけ?こんなに残すことってあるのか?洗面台の鏡が半分グラデーションになってるところで あっこれは夢だ と気付く。気がつくと部屋着のままパーティ会場にいた。小さなドアを潜って螺旋階段から2階に上がると猫が廊下の穴に落ちそうになっている。助けるとこっちに寄ってきた猫の顔が突然インド人に変化する。まだ夢か…ここで目覚めようと目を閉じる。よく考えたら目を覚ますために目を閉じるの不思議すぎる。
目を瞑って地面にふせてどんどん身体を沈めていく。いつもならこれで起きるか次の夢に移ることができる。
暗すぎる部屋で目覚めるが身体が異常に重い。
長い間ずっと存在を忘れていたシャツがソファの上にあった。まだ夢っぽい。ベッドに倒れ込みながらこの服どこにあるんだっけ…と考えたりした。なんとか顔を洗おうと洗面所に向かうと鏡はやっぱりグラデーションになっていた。

ちゃんと目覚めたらブラインドから差し込んでくる光が心地よくて、今日は大丈夫な日かもしれないと思い散歩にでかけることにした。大丈夫じゃないときは狭い道で前を並んでゆっくり歩く人にイラついたり、やたらと声と動作が大きい人に出くわすだけで最悪の気分になってしまう。あと音楽がちゃんと聴けなくて飛ばしまくる。そういう時は何をしてもダメ。

散歩がてら元町の本屋に行き、近くの映画館でカモンカモンを観ることにした。
パーカーにゆるいパンツにニット帽、散歩のプロみたいな格好で出発。あとは仲良しの犬がいれば最高なんだけど。散歩中に出くわすアパートの築年数を当てる遊びが好きで、いつも勝手に想像してはGoogleで調べて答え合わせしている。大概外れるけど、たまに自分の歳の倍近くそこにあるはずなのにどっしりイケてるアパートがあったりして心踊る。そうやって出会った家に今住んでいる。(隣がケーキ屋なことも決め手だった)

本屋で他のお客さんに オシャレですね と話しかけられて わしか!?と思ったら店の内装の話だった。恥ずかしすぎる。主語をつけてくれ。わたしがあまりにも身軽な格好だったので店主と間違えたらしい。ありがとうございます とか言ってしまったし。でもそのあとめちゃくちゃ笑ったのでよかった。
岸本佐知子さんの「死ぬまでに行きたい海」と柴田葵さんの歌集「母の愛、僕のラブ」、フィルムアート社から出版されている「犬たちの状態」を買った。

カモンカモン、平凡なものを不滅にするから録音が好きって言ってたのが良かった。自分の中に残しておきたい日常の些細な記憶や体験も、日々の積み重ねでどんどん曖昧になってしまう。大切にしたいのってそういうときの感情だったりするのに、仕事に追われたり生活に必死になるとすぐに悲しみや怒りで上書きされる。穏やかな心で生きていたいね。

どんな時に感情があふれるか、何に怒っているのか、将来について、死んだ後はどうなると思うか。
子供たちへのインタビューは哲学対話を思い出した。

中盤で、母は僕について理解できないし、僕も母についてわからない、でもそれでいい と男の子が言う。わたしが親も他人でひとりの人間だと理解できたのはいつだろう。小さい頃に大切に育てていた たまごっち が死んで三日三晩泣き続けてしまい、先週祖父が亡くなった時はケロッとしていたのにどうしてなんだと怒られたことがあった。感情は制御できないし他人の気持ちは測れない、それでも理解しようと歩み寄ることはできる(できないこともある)。人と関わるって難しい。

幼い男の子が自身のタトゥーについて聞かれた時に 教えない と答えていて、大切なことをわかっていてそれをきちんと自分の心にしまっているのは尊くてほんとに良かった。インタビュアーもそう言ってた。
反面、インターネットでタトゥーを入れた理由について公言してる自分がめちゃめちゃ恥ずかしくなった。言葉にすると突然陳腐な感じになってしまうのなんでなん。もう絶対言いません。

映像は白黒だと光の輪郭が浮かんで画が全部やさしくなる気がした。情報がシンプルになるから表情や動きから感情がしっかり入ってくる。俯瞰で撮られた高速道路の光たち、電気スタンドに照らされながら話す2人の表情、並んで歩くNYの街並み、全部に愛しさを感じた。

久しぶりにブログを書いたらだらだらしてしまった。毎日日記を書いてる人たちのこと尊敬してやまないよ〜でもやっぱり残しておきたいのは変な夢の話だったり早朝に食べた肉まんが美味しかったこととか、なんとなく行った海がキラキラしてたことなんだよね、日記続けたい。

 

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